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再生メモ

苦悩系ブログです。深海で、なんとか光ろうとしています。口角上げる。

『日本辺境論』

この前まで本が読み進められなかった。

読んでも読んでも全然頭に入ってこない。

でも久しぶりに読めるモードになった。

うれしくてぺらぺら本をめくる。あれもこれも読みたい。読んでしまいたい。

 

これがしばらく続くといいな。

 

 

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

 

p95

 ヨーロッパ思想史が教えてくれるのは、社会の根源的な変革が必要とされるとき、最初に登場するのはまだ誰も実現したことのないようなタイプの理想社会を今ここで実現しようとする強靭な意志をもった人々です。そういう人々が群れをなして登場してくる。その人たちの身銭を切った実験の後、累々たる思想的死骸の上に、はじめて風雪に耐えそうなタフな社会理論が登場してくる。それがことの順序です。

しかし、日本史上には、そのような事例を見つけることはきわめて、ほとんど絶望的に困難です。幕末から後で、自分の言葉であるべき社会像を語り、それを実現に繋げ得たのは坂本竜馬の「船中八策」くらいでしょう。

 

p97

「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。

 

p98

「外部にある『世界標準』に準拠してしか思考できない私たち。教化的にふるまえない私たち」をどうやってその呪縛から解き放つかということが問題になっているときに、「どこに行って誰に訊けば、やり方を教えてもらえるんですか?」とつい訊いてしまう、それが世界標準準拠主義なんです。

指南力のあるメッセージを発信するというのは、「そんなことを言う人は今のところ私の他に誰もいないけれど、私はそう思う」という態度のことです。

 

p100 

私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。

 

私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。

 

 

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